電気はあらゆる所で必要

電気があることが当たり前、という現代の暮らしは、実は世界の中でも恵まれた地域だけのハナシです。未だ電気の通わない地域も沢山あります。未だテレビもなにもないところで暮らしている人たちは沢山いるのです。

私たちはそのような「発展途上国」の人々が自分たちと同じように便利な暮らしを望んでいて、実際にそうなってほしいと願っています。自分たちが便利に使っているもの、「当たり前」だと思っているものは、それを知らない人にとっても便利だろうと考えているのです。今では当たり前のように誰もが使っている「スマホ」も、それを知らない人にとってみればとんでもないアイテムなのですが、私たちはすでにそれがなければ「不便だ」という次元にまで達しています。

職場と自宅が近い人はあまり使わないかもしれませんが、私たちの生活を支える、通勤を支える「電車」という乗り物があります。これは知っての通り一度に大量の人員を路線に沿って輸送する手段です。通勤のために毎日乗るという人も多いでしょう。今の日本に暮らす人であれば誰でもイメージできるはずですが、あんな大きなものもすべて「電気」で動いています。満員になるともちろん積載している「重量」は増します。重量が増すとそれを動かすために必要なエネルギーは大きくなります。私たちの社会は「移動するだけ」で大きな電力を消費するようになっているのです。

現代の仕事で欠かせないものが「パソコン」です。仕事でもプライベートでも重宝する「コンピューター」は、もちろん電気で動いています。使うことは出来ても中の「仕組み」まではもはや想像できないレベルにまで至っています。私たちはそれらの道具を何の疑問も持たずにただ使用しているのですが、常に電気を消費していることには変わりありません。モバイル化が進み、バッテリーで駆動することが可能になってはいますが、それを充電するためにはやはり「コンセント」につないで一般的な電気を消費するものです。

私たちの暮らしは、「嫌」だとしても電気を消費するようになっています。電気があることが当たり前で、ずっと供給されつづけることが当然、ということになっています。ですが、それは電気の供給を「維持し続ける人」がいるから成り立つことで、その電気の供給ラインは自然災害などにより寸断されることもあります。

先の震災で首都圏は「計画停電」という自体に直面しました。計画的に一時的に電気の供給をストップするあの試みで、自分たちがいかに電気に頼っていたのか、電気がなければ何もできなくなってしまう現実が、わかったのではないでしょうか。電気の通わない夜の闇が、どれだけ暗いのか、電化製品が一切起動していない部屋がどれだけ静かなのか、身を持って知ることになったのです。

私たちはあまりにも電気に頼りすぎてしまっていて、もう抜け出すことができなくなっているのです。「電気を使わない方法」ではなく、「いかに電気を維持し続けるのか」ということを考えるしか、生き抜く方法がないのです。そのような私たちは「原油に代わるエネルギー」をずっと探しています。ですが、安全性や安定性などからなかなか見つけられないのが現状なのです。

 
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