電力会社に不安が募る「今」

電気は蓄積しておくことができないエネルギーであるが故、電力会社は「常に発電し続ける」という責任を負っています。そして私たちは「電気のない暮らし」に戻ることはできません。

電気が発見され、それが街を明るく照らすことができるということがわかってから、私たちはさまざまに考えを巡らせてこのエネルギーを活用することを考えて来ました。電気をその場で使用しても、有害な排気ガスなどが生じないのです。そのため、石油などに比べて「暮らし」の中での取り回しがとても良く、身近なところの「便利」を実現してきたのです。今では当たり前になっているエアコン、冷蔵庫、テレビ、さらにはパソコン、携帯電話などの生活必需品の数々は、私たちに「現代の暮らし」を提供してくれる大変便利で「あるのが当たり前」というアイテムです。

私たちはすでに生きるために「電気がどうしても必要」という状態です。電力会社は、私たちの暮らしには欠かせない存在なのです。そんな電力会社に対して、先般のあの事故以来、私たちは不信感を募らせています。どのような事態にも原因はあり、それに対してのリカバリーがあるものですが、先般の事故での電力会社の対応は残念ながら鮮やかなものではありませんでした。福島に建つ発電所の動向を、私たちは心を痛めながら注視したのです。遠くに暮らす人も、近隣の人も、同じ気持ちでその動向を知ろうとしていました。それは私たちの電気を支えるインフラの基盤が崩れるのが怖かったのではないのです。「核」が、怖かったのです。

同じ電気が必要でも、それを得るための手段は考えなければいけないと、私たちは初めて痛感したのです。大きすぎるエネルギーは、制御する必要があるのだということを知ったのです。ただ何も考えずに電気を使用していた日々は過去のものです。今では私たちはひとりひとりが「この電気はどのようにして作られたのか」と考えるようになっています。それほど、あの事故のインパクトは大きいものであったのです。電力会社の対応云々もありますが、それ以前に「それを気にすること無く使っていた自分たち」に対しても考えるところが、それぞれあるはずです。

電気があるのは当たり前という時代は終わりました。これからはどのようにして電気を作るのか、そしてそれをどのようにして使うのか、ひとりひとりが考える時代になったのです。私たちはこれからも発展し続けます。一度見出した新しい技術は、なかなか封印されません。ですが、今回だけは「核」から脱却する日が近いのかもしれません。制御できないエネルギー、一度暴走すると止められないエネルギーが、どれだけ怖いものであるのかということを痛感したからです。

私たちの足元には地球があり、頭上には太陽が輝いているのです。それを改めて自覚すると、私たちが利用していないエネルギーはまだまだあるのではないかということに思い至ります。ただ発電すればいいのではなく、どのように発電すべきなのかを考える段階に私たちは差し掛かっています。私たちに必要なのは、「エネルギーの源」を考えることです。ひとりひとりが自分のこととして考えることです。その延長線上に「自家発電」があるということを忘れてはいけません。これからの時代は、各人で電気を作りだすことができる時代になるのです。

 
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