社会を支える電気の大切さ

私たちの暮らしはさまざまな「インフラ」に支えられています。インフラとは、誰もが使えるカタチに整備された「供給」の体制です。誰もがその恩恵を受けることができる、いわば「ある」ことが当たり前のものです。

私たちは誰でも水道の水を利用することができます。水はただ飲むだけではなく、さまざまなことに利用されています。手を洗うとき、食器を洗うとき、洗濯するとき、トイレを流すとき、入浴するときなどに用います。それはそこに「水」があることが「当たり前」だからです。私たちはそこに水があるから、その水を利用した社会生活を構築できるのです。銭湯の水も、プールの水も、公園の噴水も、そこに水道が引かれているから用いることができるのです。それらのどれもが、「水道が使える」ということを前提にしています。蛇口をひねれば水が出る。それは「当たり前」のことです。そのような「当たり前」と感じさせてくれることが、誰もが信じて疑わない体制が整っていることが、「インフラ」が整っているということになるのです。

ガスも同じです。コンロから火が出ること、蛇口から簡単にお湯が出せること、それらは社会的にそれらを使うことができるように整えた結果です。それらの「基盤」の上に湯沸し器や給湯設備など、さまざまなものが成立しているのです。それらが安定供給されることが間違いないから、その上にさらに私たちの生活に必要な設備が作られるのです。それが「インフラ」です。私たちはそれらのインフラを利用することで便利に生活しています。それらのインフラを活用して作られた設備を用いることで、より便利な社会生活を営んでいるのです。

電気もインフラです。電気はもっともさまざまなカタチで応用されることがあるインフラでしょう。電気がそこにあることが間違いないから、さまざまなカタチの家電製品があるのです。電気が供給されることが当たり前だから、冷蔵庫があり、エアコンがあり、テレビがあり、パソコンがあるのです。電気がなければ出来ないことが沢山あります。ですが、私たちが利用しているインフラの中でも、もっとも脆弱なものが電気であるともいえます。ガスや水道とは違い、蓄積しておくことができないもの、常に発電し続けるしかないもの、それが電気です。私たちがいつでもそれを使えるという状態を保つためには、常に発電している必要があるのです。だから社会的にそれを維持するための枠組みが必要なのです。

ですがそれは一瞬にして、自然災害の前に崩れ去る脆弱な基盤であるということもわかっています。ですが、それを「リカバリー」する方法を私たちは未だ手に入れてないのです。「今使えているが、災害時には間違いなく止まってしまう」それが確実なのです。それでも日々そのエネルギーから脱却することはできません。なぜなら、それらに慣れすぎてしまったからです。私たちは電気がなければまともに仕事をすることもできないのです。まともに生きていくことができないのです。それほど大切な電気は、実に脆弱なインフラの上に成り立っているのです。供給ラインが止まることでも、供給元が停止することでも、電気はあっという間に停止してしまうのです。

 
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