災害に電力のインフラは耐えられない

私たちの世界は絶えず流動しているのです。それは文化がどうであるとか、経済がどうであるとか、抽象的なことではありません。文字通り、私たちの暮らしている大地が動いているのです。

私たちの暮らしている「地球」の中心部は6000度もある高温状態であるようです。それ太陽の表面温度とおなじほど「熱い」のです。そのような状態では、すべてのものは溶けています。溶けて対流しています。そのような不安定な状態を核として、私たちの暮らしている大地は存在しているのです。海も、山もすべてです。私たちの地球そのものが、中心は液状なのです。そのような状態では、私たちが揺らぐことはないと考えているこの大地は、「そうではない」と言われても納得してしまうというものです。そして、実際に幾度と無く私たちの足元は轟音と共に揺らいできたのです。ですが、なぜか私たちは「大地はしっかりとしたものである」と錯覚しているのです。

それは、大地の動きが私たちの感じている時間感覚ではあまりにも長いものであり、ゆっくりとしたものだからです。動いているときよりも動いていない時の方が長いからです。これが「海」や「川」、「湖」の上であれば、私たちは「動いている」とわかるのです。「ここは不安定だ」ということがわかるのです。ですが、実際に地に足をつけて立っていれば、そこがまさか動いてしまうとは考えづらいのです。ですが、それは「錯覚」であり、実際はいとも簡単に動いてしまうものです。

私たちの文明は巨大な建造物を建築するほど発達しています。もちろん、科学技術が発展した現在では「それらは揺れることもある」ということがわかっています。揺れることがあるから、ある程度それに備えた造りにしておかなければいけないだろうということは、誰でもわかるのです。ですが、それだけでは足りないということがわかってきました。それはやはり、「想定」というわたしたちが勝手に定めた基準によります。「これくらいの揺れしか起こらないだろう」という想像が、私たちに実はとても脆弱な建築をさせてきたのかもしれません。

未だかつて誰も経験したことのない地震が起こらないとは限らないのです。誰も知らないから起こらないということは、私たちの希望的観測でしかないのです。すべては自然のなすこと、地球のチカラなのです。地球のすべてを知るわけでもないのに、私たちは勝手にそれを知ったような気になっているのではないでしょうか。未だに地震予知は出来ません。いつどこで、台風が産まれるのかさえわからないのです。私たちにわかるのは、「起こった」ということ、そして「関係していそうな要素」だけです。そのような状態では、どのようなことも「絶対」とは言い切れないのです。

私たちの暮らしを支える電力のインフラは、実際に先の震災で停止するほどの打撃を受けました。私たちが用意した生活基盤などは、自然のチカラに勝てるものではないのです。それを念頭におかなければ、どのような災害対策も意味のないものになってしまうでしょう。「何が起こるかわからない」ということは、現在でも太古の世界でも本質では変わりません。私たちは勝手に自分たちが発展したような気になっているだけなのです。

 
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