電気をなるべく使わないためには

どれだけ考えても、今の私たちでは電気から脱却することはできません。どう努力しても、消費電力を0にすることはできないのです。ですが、すこしずつでも電気の使用料を抑えることはできるのではないでしょうか。

電気を節約するのは来るべき電力危機に備えるためではありますが、自分の身近なところで考えれば、電気代が節約できるという副産物も生まれます。自分の生命に関わる部分、生活するための根底に関わる部分で電気から脱却しておけば、いざ供給ができなくなった場合に困ることが少なくなるのではないでしょうか。「今」は大丈夫でも、この先は何が起こるかわからないのです。実際に私たちは「計画停電」という未曾有の供給カットを経験しました。全体に行き渡らせる電力が足りなくなってしまうということは、実際に起こったのです。

夜になれば暗くなります。寒くなったり暑くなったりすればエアコンや扇風機をつけたくなります。オール電化のキッチンにしていれば、料理をしたりやかんでお湯を沸かしたりするだけでも電気を使用するのです。私たちはどうやっても電気から逃れることはできないのです。使うしかない、それが現実です。ですが、「電気が足りない」という事態に備えて、ひとりひとりが使う電気の量を少なくすることはできるかもしれません。

例えば明かりを「LED」電球に替えてみるであるとか、スマートフォンやパソコンの充電などは手回し充電の発電機で行うということ、さらには使っていない電化製品のコンセントを抜いて、待機電力をカットするなど、細かな配慮です。それを行うだけでは、個人レベルでは大した電力は節約できないかもしれません。ですが、それが積み重なれば、大きなムーブメントになれば、大きな電力になります。

電力は蓄積しておくことができません。「その時の供給力の限界」を超えないということが大切で、今となっては常に「綱渡り」のような状態です。私たちが、社会が使う分だけの電力を供給するのが電力会社の仕事であり、責任です。ですが、私たちはその「電気を作りだす方法」を深く意識しなければいけない局面にあります。それはやはり、私たちがもっともデリケートなものとして捉えていたエネルギー「原子力」の危うさが根底にあります。原子力は危険なものであるということ、原子力は危険なものであるということ、それを考えなければいけなくなっているのです。

どんな事態にも耐えられる完璧な設備などは存在しないのです。私たちが想定していることなどは、自然がいとも簡単に覆してしまうのです。自然は思い通りにはいかないものであるということ、そういうことを考えれば、「リスク」のある発電方法には賛同すべきではないのかもしれません。ですが、電気は使わななければいけないのです。電気を使わなければ成立しないことが沢山あるからです。社会が成立しないからです。私たちのパソコンがつかないなど、そんな小さなことではないのです。医療機関をはじめ、社会から欠かすことができない施設も、電気を使用しているからです。このエネルギーの上に成り立ってしまった社会では、そのエネルギーとうまく付き合っていく必要があるのです。だから、いざという時のために社会が存続できるように、日頃使う電気に気を配りたいのです。

 
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