電気を溜めておくのは難しい

原油は自然が長い時間をかけて作りだしたものです。そして、それは地下の奥深くに貯蔵されていました。最初にそれを発見した人は、まさかそれがこんなに幅広く利用されることになるとは考えなかったでしょう。莫大なエネルギーが地球に貯蔵されていたのです。

それを燃焼させることは「化学反応」です。「火」は、ただの現象ではなく、私たちにさまざまな「エネルギー」として変換できる大きな発見でした。「火」は熱を持ち、熱は水を沸騰させます。水が沸騰するのも自然な化学変化です。そして蒸発した水は水蒸気となり、「運動エネルギー」として「タービン」を回します。その結果発生するのが「電気」です。その「水」を蒸発させるためのチカラ、或いはタービンを回転させるためのチカラは、別のカタチでも構いません。それは原子力による「熱」であっても、自然の「風」を利用した運動エネルギーでも構いません。ただ、私たちの生活を支える電力を創りだすためには、「安定して動く」ということが必要です。

それらが安定して稼働することが必要なのは、「作った電気を溜めておくことができない」からです。もちろん、局所的には電気は貯められています。それは私たちの身近にあるスマートフォンだったり、ノートパソコンだったり、電気自動車などで実現されています。ですが、街をひとつ明るくするための電気は、貯蔵するわけにはいかないのです。それが「発電」の難しいところです。私たちの暮らしを保つためには、常に電気が供給され続ける必要があるということです。だから、発電には安定して運動エネルギーを取り出せる媒介が必要なのです。具体的には、タービンを回転させ続けることが必要なのです。

つまり、私たちが「電気」を使えるということは、どこかの発電所で「タービン」が回っていて、それによって作られた電気が「リアルタイム」で届いているのです。現代社会では24時間365日、どこかで誰かが活動しているものです。発電所が一瞬でも止まってしまえば、その瞬間に「電気は不足」してしまうということです。そして発電して「余剰」になってしまった電気は特段回収されることもなく、ただ垂れ流されているという状態になります。これか水道であれば、使われなければ貯水しているのですが、「電気」ではそのようにはいかないということです。

電気の供給量の限界とは、「今供給さてれている電気の総量」のことで、その範囲を超えた利用があると、「電気の利用が逼迫している」という事態に陥ります。先の震災直後、ひとつの大きな原発を失った我々は、そのために日々の節電や、極端なところでいけば「計画停電」という事態に陥りました。電気がガスや水道のように「溜めておける」ものであれば、このような事態にはならなかったのです。そのようなことができないため、私たちは日々十分な量の電気を供給し続ける必要があります。そして、その時の総量の範囲で利用するしかないのです。

電気は電線を辿って供給されるので、利用料が逼迫したりすると他の電力会社から供給を受けることも可能になります。ただ、そればかりに頼ってもいられないので、その地区の電力会社はその地区で十分な量の電気を発電しなければいけません。

 
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