いざという時の発電ラジオ

不測の事態というものは、いつ起こるかわからないので「不測」なのです。いつ起こるかわかっていれば、もちろん備えは万全に出来たはずなのです。ですが、いつも天災は突然起こるものです。

先の大震災で起こったことを思い起こしてみてください。何が足りなかったか、何が起こってしまったのか、その時どこで何をしていたのかを思い起こしてみましょう。被災地にいた方、長い揺れを感じて何事かと思った方、さまざまいたのではないでしょうか。その中で、誰もが求めたものがあります。それは「情報」です。誰もが正確な情報を求め、誰もが「今何が起こっているのか」ということを知りたいと思ったのです。それは自分だけではなく、社会がどうなっているのか、どこが震源で、どのような被害があったのかを知りたいと考えていたのです。

離れたところに暮らしていても、私たちは同じ国に暮らす仲間です。同胞のことを慮る心が、少なからず誰にでもあるものなのです。だから私たちはあの時情報が欲しかったのです。どこで何が起きていて、自分に関係した人が被害にあっていないか、自分に関係していない人でも、命に関わるような事態に陥っていないか、知りたいと思ったのです。

正確な情報を支えるのは日本のマスメディアたちです。私たちが目にするニュースは、私たちに正確な情報を伝えることを「仕事」としています。そこには社会で何が起こっているのか、等しく知る権利を満たすための責任があります。このような重大な事態の時こそ、マスメディアは総力を挙げて何か起こっているのかを人々に伝える義務を負っているのです。この震災の時もそれはすぐに発揮され、私たちはただちに「何が起きたのか」を知ることができたのです。ですが、それは「その情報に接することができる人」だけでした。

どのような情報も、発信されたものを受信できなければ意味がないのです。それはさまざまなカタチで世の中に発信されます。その中でももっとも即時性のある発信方法、それは「電波」を用いることです。その瞬間、そこに「テレビ」があった人はきっとテレビを食い入るように見つめていたことでしょう。ですが、それはそこにそのテレビを動かすための「電気」が流れていたから可能だったことなのです。被災地により近いところでは、一瞬にして電気のインフラが絶たれました。そのような現場では、テレビなどは見ることができません。電気がないからです。

ですがそこにラジオがあったらどうでしょうか。あの瞬間はどのラジオ局も震災の情報を流していたはずです。津波が危険な地域に対しては注意を呼びかけていたのです。そのときそこに「動くラジオ」があれば、より多くの人が正確な情報を知ることができたはずです。

ラジオを動かすための電力などはたかが知れています。それこそ、手回し発電で溜めた電力でも十分稼働できるほどなのです。「手回し発電ラジオ」がそこにあれば、電気が絶たれたとしても、私たちは情報を得ることができるのです。電気の供給が絶たれても、そのラジオさえそこにあれば、私たちは情報を得ることができるのです。いつも取り出せる場所にしまっておくだけでいいのです。普段は使わなくてもいいのです。

 
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